東北・みやぎ復興マラソン2017応援記

2017/10/1

 

私の下期最大のフルマラソン目標大会。

結局応援記となってしまいました。

   2か月前の8月右ふくらはぎを痛めストレッチ、ママチャリ走、水泳などで回復に努めやっとのことで9月17日のオホーツクマラソン大会(ハーフ)完走を果たす。

さあフルへ向けてと意気込んでいたのにその一週間後には左ふくらはぎを痛める。

 

回復には程遠く涙を呑んでのDNS(Did Not Start)。どうもみやぎの大会は運にも恵まれない。

3年前の2014年5月11日 第24回仙台国際ハーフマラソンでもアンラッキー。

この日は奥さんが風邪の為DNS。

私の風邪をうつして先に治ってしまったみねごん 後ろめたい気持ちを抱きながら完走。

 

 今回は私が奥さんの初フル完走のサポートに徹することにしました。

 

 さてそもそもこの大会になぜエントリーしたのかというと、

震災の3か月前の2010年12月まで名取市に住んでいたこともあり復興マラソン開催の話を聞いたとき必ずこの大会は出なくてはと強く思っていました。

そしてフルだけは絶対走らないといっていた奥さんも初フルに挑戦したいとのことで一緒にエントリー。

特に奥さんは名取の閖上出身。

被災された同期生もいたとのことです。 

それまで彼女は健康のためのジョギング中心でしたがこの大会エントリー後はトレーニングに一層の力をいれ、それまでのいろいろなお付き合いを断って走る時間を工面していました。

私が読んだランニング関係の書籍にも目を通していたようです。

 この大会の2週間前9月17日オホーツクマラソン大会(ハーフ)でランデブー。

今回の想定ペース7min/kmで最終チェック。まずまずの状態。

大会前日名取に移動。すぐに会場の下見を兼ねて参加賞のTシャツの受取を済ませる。

 

大会当日は名取駅から仙台空港アクセス線で仙台空港駅へ移動。

そして連絡バスに乗り換え。

ランナーは前もって連絡バスに乗る駅が指定されています。

みねごん一家は当初名取駅からを希望していましたが結局仙台空港駅に変更です。

会場にはスタート時間9:35の1時間前には着いていたいので名取駅7:49発に乗車。

仙台空港駅7:59着。

すでに仙台空港には何台ものバスが連なってスタンバイ。思ったよりスムースに進みます。

 

 連絡バスの車窓からは震災前によく食事に行ったお寿司屋さんの建物があの津波に耐えたそのままの状態で立っています。けれども人の気配は感じません。従業員の方々はどうしてしまったのか? 無事だったんでしょうか?。

仙台空港駅南側の工業団地を抜けると荒涼とした荒れ地が広がり、所々に太陽光発電パネルが目に入ります。津波に洗われてしまった海岸沿いの原野には新しい道路が一本そして海岸線の方にももう一本と続いています。この道路が今日のコースです。

連絡バスは貞山堀沿いの車道に停車。

ランナーがぞろぞろ会場の岩沼海浜緑地・北ブロックに移動です。

荒涼とした平野の中に緑の木が所々に立っているのが津波の荒々しさを感じさせます。

スタート地点に隣接した復興マルシェ会場にはもうたくさんのランナー、そして特設ステージでは何やら司会者の大きな声、出店の店員さんの呼び込みがワクワク感を掻き立てます。

 

出走前まずはトイレ。

昨日の下見の時に女性専用の仮設トイレと着替え場所が一区画用意されていたのでその区画まで移動。途中のトイレは長蛇の列です。

そして最終持ち物チェック

ポシェットにはゴール後の連絡用に携帯電話。

クエン酸入りエネルギージェル2個、カフェイン入りエネルギージェル1個、痙攣防止用のコムレケアゼリーとラン友からいただいたチューブ入りしそ梅とアミノ酸ジェル。

何せ初めてのフル。

伴走者がいないのでいろいろなトラブルが起こっても自分で決めないといけない。

不安と緊張の中、奥さんスタートブロックJにスタンバイ確認。

 

一方私は奥さんの着替え等荷物を持つ係。リュックを背負っての応援です。

 

とりあえずスタートライン近くに移動。

ここでランナーのスタートの様子をビデオにおさめます。

 

10月1日仙台市の最低気温が18℃、

最高気温は23℃と寒暖の差が大きくランナーの体調管理難しかったかもしれません。

スタート前、風はほとんど感じられない。しかし海岸線のコース。これから風が吹いてくることは当然考えられる。追い風となるか向い風となるかによってランナーの負担が変化する。

 

さてフルマラソン12,000人が4グループに分かれてのウエーブスタート。

第1ウェーブは9時15分。

奥さんは第3ウェーブで9時35分スタートです。 

 

ランナーはスタート後かさあげ道路を南下。

阿武隈川を渡り11km付近で折返し防潮堤を右に見ながら海岸線を北上してきます。

22km付近の第3収容関門地点がスタート地点から少し海岸寄りのところ。

我々応援する者は移動距離も少ないので応援がしやすいポイントです。

奥さんの通過時間は2時間30分後あたりか。

東北・みやぎ復興マラソン スタート地点全景
東北・みやぎ復興マラソン スタート地点を望む

時間はたっぷりあるので、途中で合流した娘と一緒に復興マルシェの見物と腹ごしらえ。 

私はマーボー焼きそば、肉まんそしてかき氷。

そして近くの高台から周りを見渡してみる。

荒涼とした原野の中に復興のしるしが見える。

これからも変わり続けていくのだろう。

改めてこの大会のタイトルを見てみると「東北・みやぎ復興マラソン2017」となっており、第1回とは書いていない。第2回があるかどうかはわからないということか?

もしこれからも続いていくとすれば復興の変化の様子を確認できるのだが。

ところで奥さんどこまで行った?

ここで今回入手した「応援navi」が大活躍。

応援しているランナーが今どこを走っていて直近のペースも確認できるというスグレモノアプリ。

どうやら5km,10kmと順調に進んでいるようだ。

ところがなかなか15km通過にならない。まさか15kmもいかないでリタイアはないだろう。いつもの練習では20km以上は走っている。「応援navi」も多少の誤差があるのかもしれないので早めに22km付近に移動ていたほうが安心だ。

その後やっと15km通過のサインがあった。ペースも7min/kmと予定通りで順調なようだ。

12時17分 22km給水ポイント思ったより元気に通過。

22km給水ポイント付近にて

しかし15km手前で思いもよらぬアクシデントがあったということをゴール後に知ることとなる。

 

この日の朝、エネルギー切れを心配して食べ過ぎたようだ。

折り返しの阿武隈川あたりですべて撒き餌をしたらしい。

その後はすっきりして走りだし元気になったとのこと。

こっちはそんな事つゆ知らず安心して見送る。

 

この22km地点を過ぎると次の折り返し地点閖上に向かっていくことになる。

ところがまたまた異変が。

30kmの通過が遅れている。

 

ひょっとしてリタイヤか?

ところが51分35秒(5kmラップ)で30km通過。

10min/km以上のペース。これは歩いている。

 

35kmもなかなか通過しない。

これも51分27秒(5kmラップ)で通過。

やっぱり歩いている?

 

制限時間6時間30分なのでリタイヤさえしなければ完走はできるはずだがこのまま歩いていると結構ギリギリかも。

 

10kmの距離は歩くと結構長い。むしろ走ったほうが楽なんだが…

と気をもんでいると40km通過。

34分45秒(5kmラップ)!! 

おおぉぉ走っている。7min/kmを切っているぞ。

娘と一緒にゴール近くに移動。

i-Phoneの電池切れに気をもみながら応援naviとゴールへの道をにらめっこ。

「あぁぁ きたきた」

結構元気に手を振りながらゴ~~~~ル。

皆さん一生懸命のゴール

 

 走り終えて彼女から今日の長い長い奮闘の様子を聞きました。

 

14kmあたりで吐いたあと脚が攣ったこと。

23km付近でも再度脚が攣ってしまい歩いたこと。

折り返し地点32km閖上の日和山でマッサージを受けたこと。

その後は調子が戻り走り続けたこと。

 

初めてのフルいろいろなアクシデントがありながらもなんとか完走できました。

 

『初マラソンの方も安心!!』がこの大会の特徴の一つだったそうです。

フラットで走りやすいコース、途中マッサージボランティアに助けられ、6時間30分というゆるい制限時間だったこと等々。

このようなことがなければ完走できたかどうか・・・。

 

そしてこの1年間トレーニングを積んできたことで彼女なりの充実感のあるいい笑顔で写真に納まることができました。

 

 この大会のホームページの

大会情報>大会の特徴

に以下のように記載されています

 

『インフラ面では復興しつつある大地に、「新しい感動と記憶と元気」を創り出し、心の復興へとつなぎます。』

 

少なくても彼女が「新しい感動と記憶と元気」を得られたことは確かです。

 

 

この大会を企画し運営に携わったすべての方々に感謝の意を表したいと思います。

 

おわり

 

2017年10月9日 記