今年最初のレース。
稚内へは前日札幌バスセンター10時30分発の都市間バスでラン友と移動。
さぞやランナーでいっぱいかと心配しましたが結構すいている。
左右の窓側に一列の座席と真ん中に一列のゆとりのある車内です。
ただし移動時間は5時間50分。
午後4時ころに稚内着。
ホテルで一休みして交歓会会場稚内総合文化センターへ。
途中道端では鹿がさりげなく草を食んでいる。
ここは奈良か?
会場では招待選手川内優輝選手が気軽に写真撮影に応じている。
北海道マラソン界のリーダーアシックスの作田徹さんの姿も。
作AC北海道、作AC旭川、北海道学園大学陸上部の皆さんとペースメーカーとして参加されているとのこと。みねごん昨年9月のオホーツク網走マラソンやら8月の当別スウェーデンマラソンなどでもお世話になっている。
昨年の第1回わっかない平和マラソンでは「野幌森林公園を走る会」メンバーが何人か参加しましたが作田さんから直接声をかけ応援していただいたとのことでお礼のご挨拶をさせていただきました。
交歓会イベントではラッキーなことに抽選会でTシャツ当選。
川内優輝選手の奥様から贈呈されました。
交歓会当日の様子はこちらです。
9月1日大会当日
フルマラソンのスタート地点は宗谷岬。
スタート地点までの無料バスが宿泊ホテルの近く平和公園から7時に出発する。
乗車場所には荷物預かり所が設けられておりかつ手回り品などはスタート地点宗谷岬でも預けられるとのこと。
このバス乗車時間約50分。ちょっとした観光気分での移動だ。
8時まえに宗谷岬到着。
トイレ、ストレッチ、手回り品を預けラン友を見つけて駄話などで時間をつぶす。
このコースは風を一番気をつけないければならないとのことだが、今日はそれほど気にはならない。
気温もちょうどいい感じか。
しかしみねごん今年初めての大会なので自信がない。
昨年の11月、夜中に倒れ頭を強く打ったがその時の記憶はない。
翌日何もなかったように札幌市内へ移動中に意識を失い某脳神経外科病院に緊急搬送。
診断名は硬膜下血腫&脳挫傷で2週間の入院。
それ以来満足なトレーニングができていない。ちょっと強い負荷をくわえるとどこかに不調が現れる。
7月中旬左太もも股関節周りの筋肉に痛みが出てスポーツクリニックを受診。坐骨神経痛を疑ったがどうやら違うようだ。
ストレッチ処方でしばらく様子見。
ただ骨盤周りの柔軟性が少ないとのことだがこれは走り始めたころから指摘されていたことで対策は何となくスルーしていた。
歳とともに少しの負荷でも不具合が出てくるようになったのかもしれない。
大会直前まで少し走ると同じ個所に違和感が出てくる。
長く走り続けるとどうなるか見当もつかない。
こんな状態で長距離走はほとんどしていない。
せいぜい十数キロのジョグのみ。
ただ、大会となると緊張感で何となく完走できるものである。
2011年から走り始めてフルマラソンは13回。ボロボロになりながらもすべて完走している。
完走すると途中の苦しかったことやらネガティブなことはペロッと忘れゴールした時の感激だけが記憶に残っている。
今大会もおそらく今までの大会と同じように何とかなるんじゃないかと楽天みねごん、いやいや今度こそは完走できないのではないかとの心配性みねごんが交錯する。
さて今回のコースは宗谷岬から稚内市内の防波堤ドームまでの42.195km。
平坦な海岸線を進むが途中15kmすぎからアップダウン約5kmほど丘陵地帯を往復する。
前回の大会ではこのルートはもっと長かったらしいが今回代わりに稚内市内のルートを延長したとのこと。
前夜祭で川内優輝選手は昨年ここで頑張りすぎて後半失速。
そのリベンジのために今回も参加したとのコメントがあった。
8:30スタート地点集合。
バス駐車場のある宗谷岬公園からスタート地点の238号線、宗谷ヒストリーロードに移動開始。
今回のフル参加者は774名。
このくらいの人数だとスタートの混乱は気にならない。
私のDエリアには頭に風船を付けた5時間ペーサーがセットアップしている。
うん今回もこれについて行こう。
いよいよしばらくぶりのレース開始です。
最後のレースは確か昨年の10月8日の白老健康マラソン10マイルだった。
11月には2週間の入院。
その後はあまり無理ができないということで大会は一切入れていなかったが後半には1つくらい入れておいたほうがいいだろうとエイヤッとポチってしまったのがこの大会。
北海道のマラソンと言えば外せないのは8月最終週日曜日の北海道マラソン。
みねごん2013年、2014年、2015年と3年連続出走&完走。
その後は暑さと制限時間(5時間)クリアに自信を無くしもっぱらボランティア参加。
その代りに9月に開催される別海パイロットマラソン、オホーツク網走マラソンなどを楽しんだが昨年から始まったわっかない平和マラソンは未出走だ。
初出走の大会はワクワクする。
そして9:00スタートの号砲。
日本最北端の宗谷岬から稚内防波堤ドームへ向けてスタートです。
左手には小高い丘陵地帯、右手は海が広がる。
気になる風だがやや左前方からの風だ。
ひどいアゲインストではないが風を避けるためにはランナーの陰に隠れながら進んだほうがいい。
ペーサーの周りの一団について行くことにする。
最初の1kmをガーミン君が体を震わし教えてくれる。
ペースは6min46sec/km。
まずまずのペースだ。
いつもの大会だと最初は周りに流されて6min30sec/kmよりも早く入ってしまう。そのため最初の2~3kmは想定ペースに落ち着くリズムを見つける所から始まるが今日は入りからスムーズだ。
最初の給水ポイント(5km弱)では歩きながら確実に給水。
その後12kmくらいまではこのペースで進む。心拍数も大体140bpm台。いままでのフルの平均心拍数は約142bpmなので想定内である。
しかしこれを過ぎると体の動きがダウン。いつもの練習ランも約12km程度なので体は正直だ。
5時間ペーサーからも少しずつ遅れていくのがわかる。
ぼつぼつ海岸線から離れて丘陵地への入り口(15km付近)が見えてくるはずだがやけに遠く感じる。
やはり日常の練習距離を超えるとしんどさが出てくる。あたりまえのことか。
なんとか15km過ぎの第1折り返し地点へのアップダウンの道にたどり着く。顔見知りのランナーやら4時間30分ペーサーがそして5時間ペーサーが次々と折り返してすれ違うがみねごん早くもひぃひぃ状態。絶対足は止めないつもりが軟弱ものみねごんここで歩きが入ってしまう。
折返しからの下りでも歩いてしまう。途中で気持ちがポキッ。
238号線まで戻ってきた。ハーフの距離は越したようだが右手の回収車が目に入る。
コーンをまたいで回収車に飛び込もうと思ったが思い直して行けるとこまで行ってみようと気持ちを切り替える。
なにせ今年は20km走もしていない。とりあえず最長不倒距離に挑戦か。
右手に海を見ながらしばらく行くと23kmの給水ポイントがある。ここではスポドリを。
次の給水ポイントは3km先だ。
相変わらず直線道路と右手の海がつづく。
昨年最後の参加フルマラソン オホーツク網走マラソンの景色を思い出す。能取岬を折り返した後に続く能取湖を右手に見ながらのコースだ。その時はやや下り坂だったことと5時間ペーサーを追い越したこともあって苦しいながらも順調にリズムを刻んでいた記憶がある。
もっとものど元過ぎたレースなのでいい記憶しか残っていないのかもしれないが…。
それに比べて今日は同じような光景だが気力は失せテクテク歩きが続く。
26kmの給水ポイントでは周りにはランナーが見当たらない。後ろを振り向くとスパイダーマンが追いかけてくる。
その対向車線には回収車。
給水ポイントにはゼリーがあるのでこれをいただく。
今回はアミノ酸ジェルを3つ持ってきた。スタート前に脚攣り対策として1個摂取。しかし大会運営側でいろいろ用意していただけるので考えすぎてあれこれ持って走るのは必要ないのかもしれない。
ここで早くもスパイダーマンに追い越される。
その後もテクテク一人旅。
風景も海や山だけではなくだんだん街っぽくなってくる。
コースわきには5~6人ほどの応援の人たちが声をかけてくる。
見栄を張ってみねごんテクテク歩きからジョグに。応援団を通過後はまたまたテクテク歩き。
30km関門通過。
いよいよ稚内市内に入ってきたようだ。車の数も目に見えて増えてきたがランナーの姿は全く見られない。
角を右に曲がると前方に33km給水ポイントが目に入ってきた。
みねごん人の目があるとちょこちょこ走り出す。
でもちょっと様子が変だ。
後片付け?
係員に誘導され回収車へ。閉門時間を2分ほど過ぎてしまったようだ。
おみやげ?として紅白の餅とペットボトル水をいただく。
みねごん「わっかない平和マラソン」ここで終了。
大会当日の画像はこちら
【考察】
みねごん 昨年の春からちょっとおかしい。
5kmを越すと走れなくなる。
呼吸が苦しいわけでもない。
筋肉疲労でもない。
強いて言えば気力が続かない。
昨年まで走っているとこんな感じだったが不思議とフルの大会ではそこそこ完走できていた。
今年はそうはいかなかった。
理由は2つ考えられる。
1.昨年11月に2週間の入院で体力が落ち走り込み不足。
2.お歳のせい。
今年も残り少ないが11月には神戸マラソンが控えている。
このままでは満足いく走りは期待できない。
ストレッチやスロージョグだけではなく少しペースを上げたウィンドスプリントなど少しスピードを意識した練習でかつ体を壊さない程度頑張ってみる。神戸マラソン対策として10月北海道ロードレース(ハーフ)を急遽エントリした。
できることはやってみて年内フルマラソン完走のメドを付けて来年につなげたい。
今年はフルマラソン完走継続の分水嶺の年になりそうだ。
2019/9/23 記