第2回奥尻ムーンライトマラソン

2015/6/27

 奥尻ムーンライトマラソンは昨年第1回目が開催されたまだ歴史の浅い大会。

昨年はもう少し早く情報が入っていれば参加したかったのですがすでに千歳JAL国際のフルをエントリー済みだったので泣く泣く断念。今年はぜひ参加したいと思っていました。公認大会ではないものの制限時間6時間ということもあり奥尻観光を兼ねてランニングを楽しむ大会としては一度は経験してみたい大会です。

奥尻島は40年ほど前仕事で行ったことがあります。函館空港から奥尻空港まで定員10人くらいのプロペラ機でした。着陸時には島の岸壁にぶつかるのではないかとはらはらした記憶があります。その後北海道南西沖地震に見舞われ当時の島の様子からはすっかり変わってしまったのではないかとその確認もしたいと思っていました。

 今回の大会は私はフル。奥さんはハーフをエントリー。ただ今年は函館ハーフマラソン、サロマ、きたひろしま30kmロードなど大会スケジュールが重なっているせいか定員500名(ハーフ+フル)に対して350名だったそうです。

part 1 大会前日

第2回奥尻ムーンライトマラソンバスツアー3日間

 

 当初は自家用車で瀬棚まで移動してフェリーで奥尻へとも思いましたが、宿泊手配や交通手段の確保やらめんどくさいので道新観光のバスツアーを申し込みました。

道新観光のバス
札幌からバスで移動

 

6/26(金曜日)大会前日札幌大通り8:15に出発。26名のランナーと一緒の旅となりました。道外からの参加も多かったのですがそこはやはり同好の士。初めはよそよそしかったものの時間がたつと少しずつ会話も弾むようになります。

中山峠~豊浦~長万部~せたなのルートを進みます。

中山峠名物あげいも
ご存知中山峠名物あげいも

 

第1休憩ポイント

中山峠ではあげいも(@¥350)をいただく。初めて食しましたが思ったよりおいしい。カーボローディング(注)には最適か?

(注)カーボローディングとは:レース中のガス欠防止のため走るためのエネルギー源となるグリコーゲンを筋肉内に最大限ため込むための食事法。数日前からご飯やパスタなど炭水化物の摂取量を多くするといいらしい

長万部のかにめし
長万部のかにめし

 

第3休憩ポイント。

長万部ではご存知かにめし(¥1,080)

長万部のかにめしもうん十年ぶりに食べましたが全くの様変わり。昔はたしかカニのむき身がのっていた記憶がありましたが、かにそぼろめしといった方がよいような…・。

それにしてもあげいもにくわえてお弁当と炭水化物はたっぷり補給です。

ハートランドフェリーせたな営業所
せたなフェリー乗り場

 札幌を出発して約5時間後。せたなのフェリーターミナル着です。ここでラン友2名とばったり・・。お互い奥尻出走は知らなかったので話が弾む。お二人とも昨年に続いて2回目の出走とか。

奥尻フェリーターミナル
奥尻フェリーターミナルに前日入島

 

14:05せたな港出帆

特に揺れも感じず順調に。途中船内からフルのコースの一部が確認できます。一番きつい坂 スタート後4km&20km地点。気になるところを眺めながら気を引き締めます。

 

乗船1時間半で奥尻港着



奥尻町海洋研修センター
受付会場の奥尻町海洋研修センター

 

 港についてすぐに近くの海洋研修センターでとりあえず受付を済ます。

今年の参加賞Tシャツです。昨年のTシャツも好評でしたが今年のもなかなかGood!!

第2回奥尻ムーンライトマラソン前夜祭
前夜祭 桜貝といか


 16:30からは海洋研修センターで前夜祭です。明日のフルマラソンに向けて飲みすぎ注意です。蒸しさくらがいとイカ煮つけそしてめかぶそばをいただく。この蒸しさくらがいが絶品でした。狙っていた奥尻ワイン(ロゼ)も少しだけいただきました。島内のブドウを使ったワイン。少し塩っぽいところが特徴だそうです。

ステージ上では奥尻吹奏楽団の演奏やら奥尻小学校の皆さんのヨサコイソーラン演舞で歓迎していただきました。おもてなしありがとうございました。

17:30前夜祭終了。バスで湯の浜温泉ホテル緑館に移動。湯の浜温泉は奥尻港のちょうど反対側西側に位置しています。ところがホテル移動中に添乗員さんから明日の予報は雨とのショッキングなお知らせ。この大会に向けて1週間ほど前から毎日天気予報をチェックしていましたがずっと曇りの予報だったはず。あとは予報が外れることを祈るのみ。天候だけはじたばたしてもしょうがない。

part 2 大会当日

お土産の奥尻ワイン 左がワイナリー限定のロゼ、右側が一番のおすすめの赤2012年もの
お土産の奥尻ワイン 左がワイナリー限定のロゼ、右側が一番のおすすめの赤2012年もの


 大会当日朝起きると予報通りの雨。それも半端ない。ばしゃばしゃという音まで聞こえる。それに風も強い。部屋の中にいても風の鳴き声が聞こえる。

とりあえず朝食バイキング会場へ。カーボローディング茶碗2杯のご飯を詰め込む。

ホテル出発は13:00なので近くにワイナリーでお土産ワインをゲット。

 

そして出発前に昼食のおにぎり2個平らげる。これだけ食べておけばエネルギー切れは心配ない?

第2回奥尻ムーンライトマラソン開会式
開会式

それにしても雨風はやむ気配はない。

 奥さんはこんな天気では走りたくないと愚痴が・・。ホテル出発時刻13:00にはツアー仲間がロビーに集まってきます。誰一人出走取りやめなんて言葉は出てきません。粛々と出発準備です。奥さんもとうとう覚悟を決めたようです。

14:00前start地点のフェリーターミナル近くの海洋研修センター着。 

開会式・準備体操は屋外。ふきっさらし。私はセンターの軒の下で雨宿り。

第2回奥尻ムーンライトマラソンスタート地点
スタート地点

 これは大変な大会になりそう。いつもの大会はiPhoneを持って走るのですが今回は無理。その為競技中の写真はなしです。

 

15:00スタートの号砲。

 もちろん雨です。おまけにアゲインストの風。

今回の戦略です。いつものことですが7min/kmで30kmまで。その後どれだけペースを保てるか?

北海道マラソンと違って暑さの心配はなし。

 

 例によってスタートはオーバーペースのk6min20sec。皆さん速いのでドンベ付近の位置取りです。総ランナー数そのものが少ないので目立ちます。フルマラソンは男子115名 女子 31名エントリー。まずは北上し約12km先の折り返し地点に向かいます。行きは向い風のため顔面を雨が叩きつけます。帽子を深くかぶり飛ばされないように注意です。その為視界は足元の路面と左右の崖&荒れ狂う海。このコースは全体としてはフラットなのですが4km付近に標高50mの小高い丘があります。フェリーからこの丘が勝負のポイントになるかもとラン友と話していました。それでも行きの斜度はまだゆるやか。帰りがきつそうです。この坂の頂上付近に第1エイドがあります。元気に走りながら給水。最初の1kmはオーバーペース気味でしたがその後はk6min40sec前後で順調。ただ雨風は容赦なし。途中、左崖から石が転げ落ちてくる場所もあり気が気ではない。折り返し走者がまだ来ないので意識して海側を走る。道路上にも水たまりが点在し早い時点でシューズが濡れると足に豆の心配もある。

 

10km手前最北端の稲穂地区(賽の河原)を通過。今度は強い追い風に変わる。折り返し走者とどんどんすれ違う。ここで帽子のつばが後ろになるようにかぶり方変更。これで前方の視界がよくなる。島民の皆さんの応援の様子もわかります。がんばれ~~という応援。子供からお年寄りまで一生懸命です。本気で応援してくれていることがひしひしと伝わってきます。

 

10km過ぎに第2エイド。ここも走りながら給水。

 

12km付近で折り返し。今度は強烈なアゲインスト。これが半端でない。特に稲穂地区付近では走っているつもりでも全然前に進まない。このあたりから下腹部に違和感が…。カーボローディングの朝食ごはん2杯。昼食おにぎり2個。食べ過ぎか・・。下腹部が時折痛い。しばらく我慢していると収まる。でもまた痛みが襲う。

確か一昨年の洞爺湖マラソンでもおんなじ失敗をした記憶がよみがえる。あの時は何とか完走できたので今回も行けるかも。

再度稲穂地区賽の河原付近を通過すると今度はフォローの風となります。呼吸の方も安定してリズムもそこそこの走り。そして20km付近の問題の坂。足を止めずに進みますがk7min20secまでペースダウン。うしろからフェリーターミナルでばったりラン友が私を追い越し頂上付近のトイレにピットイン。私も入りかったのに…・。あきらめて先を急ぎます。この坂を通過するともうフラットなコースなはず。下り坂になったこともありk6min40secで進むもののスタート地点1km前くらいからペースがk7minまでダウン。やっぱりおなかの調子が…。そしてスタート地点です。トイレピットインのチャンス? でも応援の人たちがたくさんいる。恥ずかしくてそのまま通過。

鍋釣岩
鍋釣岩 大会翌日の画像です。

 

 このあとトイレチャンスはどこ?

そうだ26km付近のなべつる岩はシャッターポイントで展望台もあったはず。きっとトイレもあるかも。

鍋釣岩近くのトイレ
鍋釣岩近くのトイレ

 ありましたありました。

近くにボランティアさんがいたので確認。つかえるそうです。  ヨカッタヨカッタ

 

ここで1min位ロスか。

 

ところがこのあとスピードが上がらない。30kmまでk7minをkeepと思っていたのにその前から失速です。おまけに脚やら足底やらぴくついてくる。気温も低いのでいつ攣ってしまうかひやひや。こんな時足を止めるとすぐに筋肉が固まってしまう。絶対足を止めてはいけないと自分に言い聞かせる。このあたりからは応援の人たちもほとんどいない地区のため歩きたくなる気持との戦いです。呼吸の方は問題ないもののあっちこっちの筋肉から痛みの悲鳴です。雨風は容赦なく吹き荒れていますが、幸いゴールまでは追い風です。この痛みさえ気にしなければと脚を動かし続けます。

 

30kmの表示板発見。あと12.195km。

いつもの練習コースは自宅の町内周回コース1周4kmを3周しています。これならいけるはず。

このあたりからほぼまっすぐな海岸線。左は荒れ狂う海。そしてぽつんぽつんと臨時の自家発電街路灯が走路を照らしています。本来ならば月の光を頼りに走るロマンチックなマラソンを期待していましたが結局最後まで嵐の中になりそうです。私の周りにもほとんどランナーはいません。耳元で「ちょっとぐらい休んでも誰も見てないよ」なんて声が聞こえてきたような・・・。

 

33km付近でしょうかエイドが見えてきました。水とスポーツドリンクget!!。30km付近が第5エイドだったので短い距離で次のエイドは助かります。ここは歩きながら給水。そしてすぐ走ります。

 

そして35km第7エイド通過。ここも水とスポーツドリンクGet!!。あと7.195km。自宅周回コース2周分。臨時自家発電街路灯が続いていますが左手海の向こう側に一段と明るいところがあります。あれがゴールなのか?。残7.195kmにしてはやけに遠くに感じる。

 

小さな漁港通過。松江漁港か。集魚灯を点灯した明るい漁船発見。前回大会では走路を照らしてくれたそうですが、今回は嵐のために出航できなかったとか。漁港内ですが走路を照らしていただきました。総出でサポートしていただいていることを感じます。

 

39km手前最後の第8エイドまできました。あったかいお茶をいただく。冷えた体に染み渡る。あと3km。いつもの練習コースを頭に描きながら最後の力を振り絞ります。

 

青苗地区です。

町の人々が応援のため沿道で声をかけていただきます。中には大漁旗を振って大きな声で応援している人も。こちらもそれに答えます。ありがとう・・。ありがとう・・。左手にゴールの青苗人工地盤下特設会場が見えてきますがこの交差点をもう少し青苗岬方面へ南下し折り返します。この距離は往復で1kmくらいでしょうか長く感じます。でももうすぐでゴールです。最後に下り坂を駆け下ります。いつもの大会ではゴールが競技場一周してからというのが多いのですがここは最後のヘヤピンカーブを曲がるとすぐゴールです。着ていたウインドブレーカーのチャックをあけゼッケンナンバーが見えるようにしてゴールです。

最後は添乗員の方も大きな声をかけていただきました。

ちらっと電光掲示板を見ると19時58分○○秒が目に入りました。とにかく終わりました。

第2回奥尻ムーンライトマラソン
大雨のおかげで大事な完走記録証がこんな状態

 

 すぐに完走記録証をもらいました。

雨にぬれぐちゃぐちゃ状態です。

 

タイムは 4時間58分15秒

かろうじて5時間を切りました。


 ハーフの奥さんも私の30分前くらいにゴールしたようです。

夫婦そろってめでたく完走できました。


そして反省

暑い道マラでも寒い奥尻でも変わり映えのしない記録でした。ポシェットにエネルギージェルを持参したものの全く使用せず。しかし、走る直前の過剰カーボローディングには注意が必要かもです。

それでも歩かず完走が今回の成果か。

  


第2回奥尻ムーンライトマラソン後夜祭
後夜祭会場 青苗人工地盤下 特設会場

 後夜祭は寒かった。会場では毛布が配られていました。

ともかく暖かい うに鍋 をいただく。おかわりも。大きなアワビが丸ごと1個入っていた。ホヤの串焼きもいただきました。スタート前はゴールをしたら浴びるようにビールやらワインやら飲もうと思っていましたがとにかく早くホテルに帰りたかった。

これほど荒れた天候の中フルを走る経験はめったにできるものではありません。

私のランニング足跡として思い出深い大会となりました。

 

part 3 大会翌日

時空翔と奥尻島津波館
時空翔からの全景 右手には奥尻島津波館

一夜明けてバスは奥尻観光です。

 時折雨も降っていましたが大会時ほどではありません。ゴール付近の青苗エリアでは奥尻空港、奥尻島津波館 奥尻エリアでは うにまる公園 そして昨日お世話になった鍋釣岩など見学。しかし一番インパクトが大きかったのは何と言っても奥尻島津波館

平成5年7月12日午後10時17分、奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震の痛ましい記憶を後世に伝える施設。当時私は旭川の居酒屋にいました。地震の少ない旭川でこれだけ揺れるということは尋常ではないとなと感じましたがこれほどひどい状況とは思いもよりませんでした。説明する係の人は島内の方でしょうか当時の悲惨な状況がひしひしと伝わってきます。いつもの平和な日常がある日突然変わってしまう。そんな自然災害がいつ私たちの周りで起こるのか予想のつかない時代です。

時空翔では亡くなられた皆様に哀悼の意を込めて手を合わせました。

こうして2015年の最初のフルマラソン無事走り終えて奥尻島を離れました。

皆さんの温かい声援は忘れません。奥尻島が活気のある島になることを祈ります。

 

おわり

 

2015/7/3記